今日は何の日 − その3・世界初のラジオ放送・日本初のFM放送

2014年12月24日 17:25
 

世界初のラジオ放送・日本初のFM放送

12月24日は、言うまでもなくクリスマスイブですが、


   1906年(明治39年)アメリカで、レジナルド・フェッセンデンが、世界初のラジオ放送に成功した日
   1957年(昭和32年)日本で、NHKがFM放送を開始した日


でもあるのです。

レジナルド・オーブリー・フェッセンデン

カナダ人、1866年10月6日生 ー 1932年7月22日没。Reginald Aubrey Fessendenレジナルド・オーブリー・フェッセンデン


レジナルド・フェッセンデンは、電波・電気関係者や放送関係者以外にはほとんど知られていない人だと思うのですが、実は大変な発明家です。


生涯で、500以上の特許を取得しています。

 

その対象分野は、
  送信方式
  受信方式
  高出力送信機
  受信装置
  マイクロフィルム
  ソナー(音波測深器)
  白熱電球の改良
  X線装置
  曳光弾
  ポケットベル
  テレビ装置
  船のターボ電気駆動
など非常に多岐に亘ります。

 

特に、音声の電波送信については、
 
  現在に至るまで利用されている「ヘテロダイン原理」を発明したこと
  世界初の音声の無線通信を行ったこと
  世界初の音声によるラジオ放送を行ったこと
 
などから、「ラジオ放送の父」と呼ばれています。

 

無線通信の夜明け

フェッセンデンが世界初のラジオ放送に成功した時期は、まさに無線通信の黎明期、勃興期といってもよい時代でした。
無線通信の歴史は、ハインリヒ・ヘルツの1887年の実験に始まります。
 
この実験で、ヘルツが用意したものは、
 送信側 火花放電を起こす装置
       二本の金属棒の先端同士を小さな隙間で配置し、
       そこに高電圧を加えて火花放電を起こすもの。
 受信側 受信リング
       金属棒の両端に小さな金属球をを取り付けたうえで、円状に曲げ、
       球同士が接触しないように隙間を残したもの。
 
送信側に火花放電(スパーク)を起こすと、暗室に置いた受信リングの金属球の間にも火花が発生することが確認されました。
 
ヘルツの実験は、マクスウェルが1864年に理論的に予測した「電磁波」を、発生しかつ検出できることを示した最初の実験となりました。
以降、多くの人たちが無線通信の開発に取り組みます。
 

マルコーニ

1895年、イタリアの若者、グリエルモ・マルコーニ(当時20歳)は、ヘルツの送信機にアンテナとアースを付けて1.6kmの無線電信に成功します。
 
この後、イギリスで資金を得たマルコーニは、次第に通信できる距離を伸ばしていき、1902年12月北米側からの初の大西洋横断無線通信に成功します。
 
これらの功績により、マルコーニは1909年弱冠35才にしてノーベル物理学賞を共同受賞しています。
ただし当時、マルコーニひとりが独走していたわけではなく、他にも多くの挑戦者がいました。
 
例えば大西洋横断無線通信では、磁気単位「テスラ」にその名を遺すニコラ・テスラも競っていました。
理論面では、テスラのほうが先行していたかも知れません。
 

火花送信機

マルコーニの遠距離無線通信は、基本的にモールス符号(電信)のみでした。
これは信号の発生に、火花送信機を使用していたからです。
 
火花送信機とは、蒸気機関によって交流発電機を回し、周期的な火花を発生する装置です。
電鍵が閉じている間だけ火花が放電することによって、電波を発生するようになっていました。
 
マルコーニの使った回路は、後の研究者の推定がしてみたところ、放電は毎秒2〜3回しか放電できなかったようです。

この放電の周波数では、音声は送れません。
音を伝えるためには、電波をもっと高密度(高周波)で発生する必要がありました。
 
電波の発生周波数を上げるには、
  発電機の回転速度を上げる(高周波火花送信機)(数十Hz?)
  回転子の周囲にたくさんの電極を埋め込む(回転式火花送信機)(数百Hz)
  発電機の周囲のコイルを増やす(交流高周波発電機)(数十kHz)
などの方式が考えられました。
 
それにしても、電波を発生するために、機械じかけで信号を作っていたというのは、今の感覚ではなかなか想像できないところですね。
 
当時はまだ真空管などがなかったので、信号増幅する手段がなく、発生した信号をそのまま出力するしかありません。
高出力にしようとすると、機械の出力を上げる必要がありました。
 
機械じかけですから、動作音もかなりあります。
なかでもフレミングの回転放電方式の送信機などは、蒸気機関で駆動される大出力のもので、送信所は轟音に包まれ、数キロ離れた所でも聞こえるほどだったということです。

フェッセンデン

カナダのケベック州に生まれ、14歳のときに数学のマスターシップの称号を与えられ、10代にして年下の生徒には教師として数学を教えつつ、同時に年上に混じって大学で数学を学んでいた、といいますから、まあ神童ですね。
 
そして18歳で、大学にはもう学ぶことはない、といって中退。
学歴がないことが、後々仕事に響いたそうですから、若気の至りですね。
 
1886年末(当時20歳)から、トーマス・エジソンの研究所で働く事になるのですが、何度も門前払いを食らって、いわばお手伝いのような身分で採用してもらったようです。
 
なにせ、最初の履歴書に「電気のことは何も知りませんが、すぐに学んでみせます」と書いたそうで、これに対してエジソンは「電気を知らない者なら間に合っている」と返したというのですから・・・
 
ところが入社後すぐに頭角を表して地位を高め、なんと二年後の1886年末にはエジソン直属のアシスタントとして、新たに設けられた研究所で働くようになっていたというから、すごいです。
 
1890年エジソンの会社が財政危機に陥り、他の多くの所員とともに解雇されてしまいますが、それまでの実績を買われ、その後の行く先には困らなかったようです。
いくつかのメーカーで働いた後、1892年パデュー大学電気工学部教授、1893年シカゴ万国博覧会での照明の設置を監督、その後、今のピッツバーグ大学の前身の大学で電気工学部門の学部長、と引く手あまたですね。
 
そんな、フェッセンデンの耳に、マルコーニの遠距離無線通信の成功が入ってきました。
すぐに無線通信の実験をはじめ、マルコーニの装置を超えることが出来るという見通しを持ったようです。
 

音声信号

1900年、ピッツバーグ大学を辞めて、アメリカ気象局に移り、気象情報を送信する無線局のネットワークを構築する仕事につきます。
 
早くもその年の12月23日の実験で、音声信号を約1.6km離れた地点で受信することに成功しています。
 
これは、マルコーニの使った交流発電機に代えて、もっと高い周波数で動作する高周波火花送信機を使ったものです。
また、信号の入力には電鍵ではなく、当時電話機に使われていた送話器を接続していました。
 
これは、世界初の音声信号の無線送信となりました。
ただし、音質はひどく悪かったということです。
 

検波回路

これと並行して、受信装置もバレッタ検波器(Hot wire barretter)、電解検波器(Electrolytic detector)と次々に発明します。
 
アンテナに受信した電波から、特定の送信周波数の信号のみ取り出すのが、検波回路です。
検波は、電波の周波数と、検波回路の共振周波数を合わせることで実現されます。
 
バレッタ検波器は1902年、1903年の米国特許を取得しています。
また、電解検波器はその後数年間、無線受信機の検波の標準となりました。(こちらの特許取得年は未確認です)
 
一方、1901年にはインドのボース(Jagadish Chandra Bose)が、安価で高性能な鉱石検波器を発明しています。
鉱石検波器は、一般人に無線の実験を楽しむ人を増やし、後のラジオ放送の下地づくりに貢献しています。
 
鉱石ラジオ、懐かしいですね。
 

ヘテロダイン

フェッセンデンの今に残る最大の功績は、ヘテロダイン(heterodyne)方式の発明です。
 
これは、二つの振動波形を合成または掛け合わせることで新たな周波数を生成する方法で、信号の変調および復調したり、特定の信号を扱いやすい周波数帯域に移したりという用途に使うものです。
今でも、ラジオや無線機の回路に使われており、受信機に必須の技法です。
 
ただし、ヘテロダイン方式は安定した発振信号が必須なので、発振用真空管が開発されるまで、フェッセンデンの発明から約10年ほどは実用化できませんでした。
ヘテロダインの発明は、1902年に米国特許を取得し、追加して1913年にもふたつの米国特許を取得しています。
 

回転式火花送信機

フェッセンデンは、回転式火花送信機と交流高周波発電機を開発していましたが、後者のほうが有力と考えていました。
交流発電機の方が周波数を上げられる上に、きれいな正弦波を作ることができるからです。
 
一方、出力は火花送信機方が上でした
高出力の交流高周波発電機を作るのは大変なことでした。
 
そこで、すぐ使えるものとして回転式火花送信機を自ら開発しながら、交流高周波発電機はGE社とウエスティングハウス社に製作を打診していました。
 
1906年1月10日には、回転式火花送信機を使って大西洋を横断する無線電信実験を成功させています。
そして1906年8月、交流高周波発電機ができてきます。
 

世界初のラジオ放送

1906年12月21日には、新しい交流発電式送信機を使って公開実験を行い、2地点間の無線電話に成功しています。
そして、四日後の12月24日、世界で初めて、電波で音楽と朗読を発信する実験を行いました。
 
実験では、レコードでヘンデル作曲の「クセルクセスのラルゴ」を流した後、フェッセンデン自身が「さやかに星はきらめき(O Holy Night)」をバイオリンの伴奏で歌い、聖書のルカの福音書第2章の一節を朗読しました。
 
これが最初のラジオ放送(かつ最初のクリスマス特別番組)とされています。
さらに12月31日の大晦日にも、第2回の放送が行われました。
 
これらの放送は、聞いていた人がいたのでしょうか。
資料によって、
  「大西洋沿岸を航行する船の無線技師だけであり、人数は不明である」
とするものや
  「このころには鉱石ラジオが普及し始めていて、かなりの聴衆がいたようです」
とするものがあり、よくわかっていません。


また、公式の記録としては当時のものがなく(12月21日の実験記録はある)、フェッセンデン自身が1932年1月にかつての同僚にあてた手紙で述べているのが、最初の記録と言われています。

実験についての議論

この世界で最初の放送については、2006年になってJ.E.オニールというアメリカの放送史家が疑問を呈しています。
手紙を書いたのが実験から四半世紀後のフェッセンデン65歳(亡くなる年)の時だったので、記憶違いや1909年に行われた他の実験との混同ではないかという意見です。
 
また、この疑問に対しては、カナダのJ.S.ベルローズという研究者がフェッセンデン擁護の立場から反論しています。
しかし、オニールの立場に立ったとしても、フェッセンデンが最初のラジオ放送実行者だということは認めているようです。

日本初のFM放送

1957年(昭和32年)12月24日19時に、NHKがFM放送を開始したのですが、これはフェッセンデンの世界で最初の放送の日に合わせたのでしょうか。
 
それを期待して調べてみたのですが、期待を裏付けるような資料は見つけられませんでした。残念!
 
参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/レジナルド・フェッセンデン#cite_note-3
http://en.wikipedia.org/wiki/Reginald_Fessenden
http://www.katch.ne.jp/~sugi-kaz/musentop/radio1/radio.htm
http://www.geocities.jp/hiroyuki0620785/intercomp/wireless/radio.htm
http://www.geocities.jp/hiroyuki0620785/intercomp/wireless/transatrananticexp.htm
「計測技術 2006. 2. 電気の世紀へ 第28 回
 <(発明の時代)−高周波発電機から真空管へ アレクサンダーソンとラングミュア>」

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