今日12月17日は「飛行機の日」

2014年12月17日 23:26
 

1903年(111年前)のこの日、ライト兄弟による人類初飛行が成功

と書くと、兄弟が世界初の快挙を成し遂げた成功者として大絶賛を浴びたかのように思えますが、実は当時の科学界に信用されず、散々な目にあったようです。
 
「機械が飛ぶことは科学的に不可能」というのが当時の科学者たちの公式見解だったといいますから、端(はな)から相手にされないのも仕方なかったかも。
 
とはいえライト兄弟だけでいきなり成功への道筋を単独で創りだしたわけではないです。
先行する開発競争があったからこそ、彼らの成功が導かれた、と言う側面が大いにあって、現代の開発競争(例えばLED)にも似ているところあると感じます。
 

思い込みが邪魔をした

面白いのは、鳥のように空を飛びたいという人類の夢を、最も邪魔したのは、まさに「鳥のように飛ぶには、鳥のように動かなければならない」という思い込みだった、というところでしょうね。
 
人力にしろ、機械力にしろ、動力を使って飛ぼうとする挑戦者はたいてい、「鳥のように羽ばたく機械」(オーニソプター)で挑戦していたらしいです。
 
レオナルド・ダ・ビンチが遺したスケッチにも、人力で動かすオーニソプターのアイデアがあるくらいだから、自然発生的な固定観念だったといえるでしょうね。
 
今でこそ、模型サイズならば実際に飛ぶオーニソプターが存在するのですが、それだって、軽量で強靭な素材と、超小型のモータがあるからこそ可能になったものです。
 
まあ、むしろ固定翼の飛行機を見慣れた我々にとっては、羽ばたいて飛ぶほうが驚きだったりしますが。
 
ただ現在の、実際に飛ぶオーニソプターも、模型サイズ(翼広げて60〜80cmくらい?)だからなんとか実現しているのであって、とてもじゃないけど人が乗って飛べるようなレベルではないです。
 

グライダーに着目

なぜライト兄弟は固定翼の飛行機を産み出せたのか。
 
ライト兄弟以前から、動力付きの飛行機への挑戦があった一方で、グライダーの研究と実践をしている人たちはいました。
今でも有名なのは、オットー・リリエンタールです。
 
形の上では今のグライダーとはかなり違うのですが、リリエンタールのグライダーを使った滑空は1890年台当時、世界的にも広く知られていました。
リリエンタールは自作のクライダーで2000回以上も飛んだと記録に残っていますが、1896年に15mの高さからの墜落事故を起こして落命しています。
 
機械を使って空を飛ぶことができる、という認識が世界に広がったのはリリエンタールの功績でした。
 
でもどうやら、当時の意識は「グライダーは滑空するもの」(名前の通り)で、「空高く飛び上がるにはオーニソプター」と区別されていたようですね。
 
リリエンタールの死後に、ライト兄弟はグライダーに着目し、グライダーにエンジンとプロペラを装備すれば飛び上がれるというアイデアを得たと思われます。
 

風洞実験

兄弟は1901年から、なんと風洞実験でのグライダー研究を開始します。
 
風洞は、今の我々が連想するような大規模なものではなく、机サイズの小型のものです。
テストできるのはグライダーの「模型」くらいの大きさまでと思われますが、兄弟が非常に科学的なアプローチをしていたことがよく分かるエピソードと思います。
 
実際、サイズが異なる風洞実験を行い、それを正しく実サイズの機体に当てはめるには流体力学をきちんと理解していないといけませんからね。
この実験を通してグライダーを改良し、何種類かの機体を作成しています。
 
また出来上がったグライダーで、リリエンタール以上に多くの飛行練習をこなしたと言われています。
グライダーに習熟しなければ、動力を搭載した機体を操ることはできないというのがライト兄弟の信念だったようです。
 
それにしても、風洞実験が1901年からで、初飛行が1903年の末というのは、驚くべき短期間だと思いますし、彼らのアプローチの正しさを証明しているようにも思います。
 

成功要因

ライト兄弟が自転車店を経営していたのは、夙に知られていることと思います。
実はこれが、前述の科学的アプローチの他に、兄弟の成功を支えた大きな要素だったのです。
 
当時、世界各地で飛行機の開発競争が行われていましたが、資金の調達で苦しんだ人たちが多くいました。
例えば、日本では二宮忠八が資金不足のために研究の停滞を余儀なくされています。
 
またライト兄弟とライバル関係にあったサミュエル・ラングレー教授は、軍から資金提供を受けていたため、開発に失敗したときに厳しく責められています。
正に、金を出すものは口も出す、なのです。
 
それに対して、ライト兄弟は自分たちで資金をまかなえたため、比較的思い通りに開発を進めることができたと言えます。
 

教訓

・開発は経営的なバックボーンを確立してから行うべし
・開発は科学的なアプローチを取るべし
 
いやー、自分で書いてて、耳が痛いです。

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