今日は何の日 − イギリス国王、「コーヒー店取り潰し」を布告!

2014年12月19日 23:18
 

→ しかしコーヒー店の反発で11日で取り消し (イギリス国王チャールズ2世・1675年12月19日)
 
なんじゃそりゃ?
 
そんな布告したからには「敵認定」したと同じようなものじゃないですか。
それなのに、その敵からの反発で撤回するなんて、この王様、ちょっと弱腰過ぎない?
 
何が起きたのか、調べてみようかと。
 

データベースありがとうございます

まず今日の話題を書き進めるにあたって、ネタ元の説明をしておこうと思います。
 
多分、「今日は何の日」を定期的に取り上げるブログは少なくないでしょう。
そのようなブログの強い味方が、「歴史データベース on the Web」
 
なにせ宇宙誕生から1999年3月13日までの、66,666件(2014-12-19現在)の世界各地の出来事を、日付まで含めてデータベース化してあるのです。
 
この大事業を、趣味として、ひとりで行われた慶應義塾大学理工学部教授・中西正和先生(2000年没)に深く尊敬と感謝の意を捧げます。
 

同じ事件で日付の違い

ところで、この事件を他でも当たると、同じ事件を12月29日としているサイトがあります。
 
英国のチャールズ2世国王によって1675年12月29日に公布されたコーヒーハウス閉鎖令は、国民の総スカンに遭い、後日別の布告によって撤回されることになる。


こちらも責任ある編集がされているサイトなので、そうそう間違ったことを書いていることは考えにくいです。
この十日分の日付の食い違いは何が原因なのでしょう。
 

暦の違い

結論から言うと、日付の違いは、暦の違いが原因でした。
 
1675年12月19日 ユリウス暦表記
1675年12月29日 グレゴリオ暦表記
 
ひと口に「西暦」といっても、ユリウス暦とかグレゴリオ暦とかがある、ということは漠然と知ってはいましたが、ちょうど十日ずれているというのは、今の今まで知りませんでした。
ちょっと復習しておきます。
 

ユリウス暦

ユリウス暦は、紀元前45年にローマ皇帝ユリウス・カエサル(英語読み=ジュリアス・シーザー)によって制定された暦です。
 
太陽の巡りを基本とし、1年が365日で、4年ごとに366日になる、閏(うるう)年という概念を取り入れた初めての暦です。
 
なぜ閏年が必要かというと、地球が太陽の周りを一周するのに丁度365日ではなくて、平均365.2422日かかるからなのでした。
0.2422日という端数がいやらしいですね。
 
この端数のために、4年経つと
0.2422日 × 4 = 0.9688日
と、ほぼ一日分数え足りなくなってしまいます。
 
なので、そのズレを解消するために4年目を閏年にして、一年を366日と数えることにしたわけです。
 

グレゴリオ暦

でも、0.9688日って、ほぼ1日ですがイコールではないですね。
その差は、0.0312日です。
 
ということは、ユリウス暦を続けていると4年ごとに0.0312日ずつ数え過ぎになっていることになります。
百倍してみると、400年で3.12日数え過ぎになることが分かります。
 
なので、400年のうち3回だけ閏年をキャンセルすることにした、これが今現在世界中で使われているグレゴリオ暦です。
 
この暦のお約束は、「4で割れる年は閏年だが、100で割り切れて400で割り切れない年は閏年にしない」です。
 
具体的にいうと、2000年や2400年は閏年ですが、1900年や2100年、2200年、2300年は閏年ではありませんよと。
 

とりあえず無視

400年で3.12日数え過ぎなのを、400年で3回閏年キャンセルしても、まだ0.12日残っていますね。
 
これは気になるかも知れませんが、結論から言うと人類は、この違いは「とりあえず無視」することにしました。
 
だって4000年かかって1.2日、3333年かかって1日ですよ?
多分、西暦3200年の閏年をキャンセルするくらいで済むのではないでしょうか。(そんな先のことは知らん、と)
 

暦の乗り換え

グレゴリオ暦への改暦は、ローマ法王グレゴリオ13世が1582年に行いました。
当時は、ユリウス暦が始まってから1627年経っていて、暦と太陽のズレが1627年分溜まっていました。
 
(3.12日 ÷ 400年)× 1627年 = 12.6906日
 
これだけ数え過ぎていた(=太陽の巡りに対して暦が進みすぎていた)ということになります。
 
カソリック教会では、元来3月21日を春分の日として祝う儀式があったのですが、この頃はそれが3月11日にまでずれ込んでいたのだそうです。
そこで、グレゴリオ13世はさまざまな学者と相談の上、1582年10月4日の次の日を10月15日とすることによって、10日分のズレを一気に解消し、同時にグレゴリオ暦を導入したのでした。
 
ちなみに曜日は飛んでいません。1582年10月4日(木)→10月15日(金)だそうです。
 
え?計算上は12日以上ずれているのに、なんで10日しかずれていないかって?
んー、1600年の間に2回ほど、閏年にするのを忘れていたみたいですよ?
カソリック教会も案外ですね。
 

暦の乗り換え・各国では

実は、上記のタイミングで改暦したのは、カソリック諸国のみで、英国国教会、ロシア正教、プロテスタント諸国、その他の非欧州地域などはもっと後になってグレゴリオ暦に変えました。
 
例えば、イギリス(及び当時の大英帝国すべて)は1752年、日本は明治維新後の1873年、ロシアは共産主義革命でソ連が成立した後の1918年など、グレゴリオ暦の導入時期は各国、各地域バラバラです。
 

「コーヒー店取り潰し」の布告の日付

さて、ここまでのことを踏まえると、チャールズ2世が「コーヒー店取り潰し」の布告(コーヒーハウス閉鎖令)を出した1675年当時、カソリック諸国はグレゴリオ暦でしたが、イギリスはまだユリウス暦を使っていたことが分かります。
 
これが、ふたつのサイトの日付の違いの原因でした。
 
では、我々は「今日は何の日」の話題を扱う時、どちらの暦で考えるほうが良いのでしょう。
現代の共通の暦で考えるべきなのか、それとも当時、その地で暮らしていた人たちが使っていた暦で考えるべきなのか。
 
僕は、後者で考えるべきなのではないか、と思います。
それは、この事件の流れをみれば分かっていただけると思います。
 
以下引用。
国王の最初の布告に対して、あらゆる党派の男たちが、それぞれの溜まり場(コーヒーハウスは政治論議が盛んに行われる場所だった)が奪われることに猛反対。またコーヒー業者たちは布告によって国王の収入が大幅に減少すると説明した。事実、コーヒー販売の収益にかかる税金は莫大で、国王の重要な収入源だったのだ。1676年1月8日、先の布告からわずか10日後に国王は「来る6月まで営業を続けることを認める」という布告を行う。この“延期処分”は国王のメンツを守るためのもので、事実上はコーヒーハウス閉鎖令の撤回を意味した。短期間に出された2つの布告は、歴史上まれにみる失政の例であるだけでなく、「言論の自由」を求める戦いが権力に対して勝利した歴史的な事件であった。


このサイトでは、グレゴリオ暦で綴っています。
流れを整理すると、
 
 12月29日 コーヒーハウス閉鎖令布告
 1月 8日 コーヒーハウス閉鎖令撤回(10日後)
 
これを、当時イギリスで使用していたユリウス暦に置き換えると、
 
 12月19日 コーヒーハウス閉鎖令布告
 12月29日 コーヒーハウス閉鎖令撤回(10日後)
 
となります。
 
グレゴリオ暦で見ると、年末も押し迫った時期に布告して、新年明けてから撤回しているように見えます。
一方、ユリウス暦で見ると、やはり年末ではありますが、クリスマス前に布告して、年内に撤回しています。
 
多分ですが、チャールズ2世は反発やゴタゴタを新年に持ち越したくなかったように見受けられます。
どちらがより、当時の世相や心理を感じさせてくれるかというと、断然、当時使っていたユリウス暦のほうが鮮やかと思います。
 
というわけで、この事件は「今日は何の日・12月19日」に適合することにしました。(^_^)v
 

コーヒーハウス閉鎖令布告と撤回

この事件の概要について調べてみよう、で書き始めたのですが、思わぬ方向に転がっていってしまいました。(てへ)
 
そして、事件の顛末や意味合いについては、先に引用させていただいた「コーヒーブレイク」さんの説明で尽きていますので、僕のまとめは割愛することにします。

得られたこと

実は、「今日は何の日」を書いていくに当たって、日本の歴史上の日付をどう考えようか、迷っていました。
太陽暦か、太陰暦か。
 
今回のユリウス暦vsグレゴリオ暦よりももっと違いが大きいですからね。
 
でも、上で自分なりに書いた理由、どちらがより当時の世相や心理を感じさせてくれるか、という観点で良いのだと思います。
 
従って、歴史上の日付はその時その場所で使われていた暦を採用する、と。
日本の歴史上での「今日は何の日」を扱う場合には、現在の日付を太陰暦に直してから、同じ日を見たほうが良いのかも知れません。

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