調べてみました − 冬至と元日の関係

2014年12月22日 22:19
 

冬至と元日の関係

今日(12月22日)が冬至なので、もうちょっと冬至にこだわってみようかな。
 
ひとつ前の記事(コーヒーハウス閉鎖令とクリスマスの関係)で、注として、
 
当時のユリウス暦での冬至が12月25日で、それが固定されたということのようです。 ここは検証が必要なところかも知れません。 現在の冬至は、大体12月21日か22日です。
 
と書いて済ませていましたが、消化不良でしたので、以下の点を調べてみることにしました。
それは、
 
 1. 太陽の運行を基にした暦なら、冬至か、冬至の次の日を1月1日(元日)と定めるのが自然ではないのか。
 2. ユリウス暦採用当時の冬至は、本当に12月25日だったのか。
 
という疑問です。
 

諸説あり

調べてみて分ったのですが、上記の疑問に関する説は、いくつかありました。
例えば、
 
「ユリウス暦が始められた年、元日は冬至・春分・夏至・秋分のいずれとも重ならない、新月の日から選ばれた」とか。
「ユリウス暦の基準の年は、冬至=元日だった。その後、地球の歳差運動によりずれていった」とか。
「そもそも太陽の運行とは関係なく決められた」とか。
 
まあ、他にもあり、素人から、専門家まで入り混じって、いろいろです。
実際、ユリウス暦を定めた時に、元日をどう設定したかについては、定説はないようです。
 

天文シミュレーションソフト

天文シミュレーションソフト「ステラナビゲータver10体験版」を使って、そのあたりの検証をしてみました。
歳差運動にも、紀元前の日付にも対応している、優れた定番ソフトです。
 
またステラナビゲータは、使えるのがグレゴリオ暦だけなので、「グレゴリオ暦⇔ユリウス暦」の変換には、WEBツール「換暦」を使わせていただきました。
ありがとうございます。
 
ちなみに、「換暦」によりますと、ユリウス暦の紀元前45年1月1日は、グレゴリオ暦では紀元前46年12月30日です。
ここが今回の起点となります。
 

新月の日?

まず、最初の「新月の日」を元日にした、という説です。
 
ユリウス暦が導入された紀元前45年1月で調べた結果、新月(朔)は1月4日でした。
 
当初、グレゴリオ暦で1月2日という結果が出たので、近いかもと思ったのでしたが、ユリウス暦に直したところ1月4日となりました。
3日の違いは、ちょっと無視できない違いだと思います。

基準の年は、冬至=元日?

次の、基準年では冬至=元日だった、というのは、個人的には好きな説です。
これも、シミュレーションしてみました。
 
  ユリウス暦・紀元前45年1月1日=グレゴリオ暦・紀元前46年12月30日 冬至は、12月23日〜24日。
 
ちなみに、今年の冬至が12月22日ですから、ユリウス暦導入から2050年経っても2日分位しか移動していません。
地球の歳差運動の周期は26000年ですから、どれだけ遡れば基準年に到達するのか・・・
 
追っかけてみると、紀元前1000年あたりで、グレゴリオ暦の12月30日に冬至がかかってくることが分かりました。
基準年は1000年遡るということでしょうか。
 
しかし、これはユリウス暦の元日から、グレゴリオ暦の数え方で遡ったことになるので、不適切かも知れません。
試しに、ユリウス暦のまま遡ってみました。
すると、
 
  ユリウス暦・紀元前500年1月1日=グレゴリオ暦・紀元前501年12月27日 冬至は、12月25〜26日。
  ユリウス暦・紀元前550年1月1日=グレゴリオ暦・紀元前551年12月26日 冬至は、12月26〜27日。
 
と、この辺りで合ってきそうです。
何のことはない、歳差による冬至の移動より、ユリウス暦ーグレゴリオ暦の誤差による変化のほうがはるかに大きいのです。
 
とはいえ、それでも基準年は500年以上遡ることになります。
元日を冬至の翌日としたのだ、としても500年近く遡らなければなりません。
ユリウス暦が、ローマに導入されるより500年も前から存在する暦だったのでしょうか?

ローマ暦

一方、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)がユリウス暦を導入する以前を探ってみます。
 
当時のローマでは、ローマ暦なるものが使われていて、これは元は古代ギリシャの太陰暦を参考にしたものらしいです。
この暦では、3月1日が一年の始まりとなっていましたが、今の我々の感覚からすると、かな〜りいい加減なもので、
 
引用
1年の長さは304日で、12月30日と3月1日の間に、日付のない日が約61日間続いた。農耕暦だったので、畑仕事のない季節に日付は必要なかったとされる。当時のローマ人は1年の長さが約365日であることを知らなかったため、日付のない日は厳密に61日間ではなく、春めいてきた日に王が新年を宣言するという形をとったと考えられる。

で、ユリウス暦へ切り替えなけばならなかった、その直前の頃には、
 
引用
閏日の挿入は最高神祇官の職責であったが、この官職の職務は軽視されがちであり(当時のローマの神祇官は専門の神官ではなく、選挙で選ばれる一種の名誉職であった)、規則どおり閏日を入れないことがしばしばあった。政治的な理由で、1年の長さを恣意的に操作するため、閏日を挿入したりしなかったりすることもあった。そのため、暦の上の日付と季節がまったく合致しなくなった。末期には90日のずれを生じた。

という体たらくだったので、まあありえないほどダメダメですね。
90日のずれって、なんなんでしょう。大きすぎでしょう。
 
農耕暦とはいっていますが、少なくとも古代ローマ人が、優れた農夫だったとは考えにくいです。
古代エジプトよりも後退しているような印象さえあります。
 

ユリウス暦

それで、ユリウス暦の導入時はどうだったかというと、
 
引用
ユリウス・カエサルがエジプトを征服した紀元前46年に、アレキサンドリアの暦学者ソシゲネスに命じてエジプト暦を改良した暦を古代ローマに導入した。これをユリウス暦という。当時使われていたローマ暦は実際の季節と3ヶ月もずれてしまっていたため、これを調整するために閏月を3ヶ月分挿入した。なお、この際に春分を3月25日と定め、年始をマルティウスからジャヌアリウスに移動させ、クインティリスを自分にちなんだジュリウスと改称させた。

と、やっぱり当時の先進国エジプトから取り入れているのでした。
 
ちなみに最後の一文は、年始を3月(March)から1月(January)に変更して、7月を(July)と改称した、という意味です。
それにしても、閏月を3ヶ月とか、暦なのに自由自在ですね?
 
ところが、そうして取り入れたにも関わらず、
 
引用
カエサル暗殺後、本来なら閏年を4年に1度とすべきところを誤って3年に1度入れてしまったため、3日間のずれが生じてしまった。そこで、後継者となったアウグストゥスがこれを調整したが、その際にセクスティリスを自らにちなんでアウグストゥスと改称させ、フェブルアリウスを29日から28日にして代わりにアウグストゥスを30日から31日に改めている。

と、いろいろとトンデモ運用をやらかしています。
 
元々の暦のいい加減さと合わせて考えると、古代ローマ人にはちゃんとした暦は使いこなせなかったような気さえします。
 

太陽の運行とは関係なし?

こうして見てくると、取り上げた最後の説、「太陽の運行とは関係なく」というのが、現実的なものに感じられてきます。
上の引用にもあったように、さくっと「この際に春分を3月25日と定め」たんじゃないんでしょうか?
 
というのは、元々のローマ暦では「春らしくなってきたから3月」と肌感覚で一年が始まっていたんですよね?
その延長で、新しい暦でも「春を感じてから春分になるので、春分は3月25日」という肌感覚重視で決めちゃったんじゃないかと思います。
 
一旦そうと決めたら、元日も冬至も自動的に定まってしまいます。
その後の暦との付き合いからも、古代ローマ人が暦に対して非常にアバウトな感覚を持っていたとうかがい知れるのです。
 
以上、このブログでの結論は、「ユリウス暦の元日は、そもそも太陽の運行とは関係なく決められた」でした!

 

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