16世紀のイギリスのクリスマス
この間の記事(イギリス国王、「コーヒー店取り潰し」を布告!)で、16世紀イギリスの国王チャールズ2世のコーヒーハウス閉鎖令(1675年12月19日)を取り上げました。結局、コーヒーハウス閉鎖令より暦の方に、話は転んでいってしまったわけ(失礼!)なのですが、その中で、この事件がクリスマスをまたいで起こった事件であるほうが、当時の世相や心理を理解しやすい気がすると、僕は結論づけました。
でも、16世紀のイギリスでのクリスマスが、現代の日本で想像するようなクリスマスでないことは当然です。
もしかしたら暦の関係などで、それこそクリスマスの時期が違っているなんていうこともありえるわけです。
念のため、その辺りのことを、簡単に調べてみました。
誕生日?
改めて知ったことは、「クリスマスはキリストの誕生日ではない」、ということでした。知ってる人も多いのかも知れませんが、僕は漠然と「クリスマス=キリストの誕生日」と思い込んでいました。
まあ、キリストの生誕を祝う行事であることは間違いないのでしょうけれど、聖書には誕生の具体的な日付は書かれていないのです。
実は生まれた年もよく分かっていないのです。
聖書には、ベツレヘムの三人の博士がキリストの誕生を知った時に、輝いた星に関する記述があります。
この記述を元に、天文学的な星の運行の計算をして、紀元前7年9月15日とか、紀元前2年6月17日とか、推定している人たちもいるようです。
まあ個人的には、戸籍もないし、きちんとした記録もない時代の話なので、具体的な日付は、あまり突っ込んで考えても仕方ないかな、と思ったりします。
12月25日
では、なぜ12月25日をキリストの生誕を祝う行事に当てたのでしょうか。それは冬至です。
日本でも、冬至にはいろいろ祝い事を行いますね。
神社でお祝いに南瓜を振る舞ったり、柚子湯に入ったり。
冬至は、一年で一番、日が短く、夜が長い。
この日より後は、どんどん日が長くなり、いわば太陽が復活に向かう大事な日と考えられてきたのです。
これは、日本でも地中海周辺でも事情は同じです。
特に地中海の周辺には、エジプト文明や、少し離れますが影響は大きかったであろう、チグリス・ユーフラテス文明といった、農耕に長けた文明がありました。
農耕にとっては、太陽の運行は非常に重要なことなので、この地域でも冬至は祭りの時期でした。(春分もね)
このような催事というのは、たいてい世界どこの地域でも、その地の宗教と密接につながっているものです。
いわば古くからある、異教徒の冬至の行事に合わせることで、キリスト教を布教する足がかりとしたのです。
そして結局、それらの宗教のほとんどを駆逐してしまったのですから、大変成功したPR戦略と言ってもいいかも知れません。
この戦略を実行したのが、ローマ教皇ユリウス1世(在位:337〜352年)でした。
注1 当時のユリウス暦での冬至が12月25日で、それが固定されたということのようです。 ここは検証が必要なところかも知れません。 現在の冬至は、大体12月21日か22日です(当然グレゴリオ暦)。
ユリウス1世
当然ですが、ユリウス暦のユリウスさん(ジュリアス・シーザー)とは違う人です。英語版のwikipediaによると、以下のように書かれています。
ユリウス1世は、キリストの生誕を2つの別の祝いとして分割し、公現祭(Epiphany)を伝統的な日付のままとし、降誕祭(Nativity)を新たに12月25日として加えたことでも評価されている。
Julius is also credited with splitting the birth of Jesus into two distinct celebrations: Epiphany stayed on the traditional date, and Nativity was added on 25 December.
注2 ここに書かれている公現祭は、あまり日本では馴染みがない祝祭日ですが、だいたい1月6日です。(宗派、地域により変動があります)
注3 この布告が350年であるというサイトがありますが、検証できませんでした。在位期間からして、正しいようには思います。
注4 この決定がニケヤの公会議(325年)でなされた説明するサイトがありますが、ユリウス1世の在位期間と合いませんので、どうなのかなと思います。 ただし、三位一体などの教義解釈に併せて、復活祭(Easter)の日付の確定も議題となったらしいので、降誕祭も議題には取り上げられていた可能性はあります。
クリスマスとユリウス暦
結局、クリスマス(降誕祭)の日付は、どのキリスト教宗派でも12月25日と決まっています。しかし使っている暦は、現代の世界標準のグレゴリオ暦ばかりではなく、今でもユリウス暦を使っている宗派も多いのです。
例えば、ロシア正教会やギリシャ正教会などは、ユリウス暦です。
一方、ロシアでも一般社会で使っている暦はグレゴリオ暦ですから、教会がユリウス暦での12月25日の祝祭を告知するときは、一般社会にはグレゴリオ暦で日付を伝えなければなりません。
現在では、グレゴリオ暦とユリウス暦の差は13日になっていますので、ロシア正教会はクリスマスを1月7日であると告知することになります。
我々からすると、
「ロシアってクリスマスが1月7日なんだ、へぇぇ変わってるね」
なのですが、ロシア正教会からすると、
「いやいや、こっちは12月25日で、昔から全然変わってないですから」
ということになります。
ところで、この1月7日が、公現祭(Epiphany)の1月6日と近いために、ちょっと混乱するのですが、当然ユリウス暦を使っている教会では、こちらも13日ずれて、グレゴリオ暦の1月19日に公現祭(神現祭ともいう)を行います。
グレゴリオ暦とユリウス暦の差はだんだん広がっているので、もう何十年かすると、ロシアのクリスマスは1月8日になります。
注5 日本にあるギリシャ正教会では、1月7日に降誕祭を行っても人が集まらない、というより、みんなが12月25日に来てしまうために、ある意味仕方なく、クリスマスだけはグレゴリオ暦で行っているようです。 日本ならではの話かも知れません。
チャールズ2世のコーヒーハウス閉鎖令
これで、もう一度チャールズ2世のコーヒーハウス閉鎖令に戻れます。当時のイギリスと英国国教会では、ユリウス暦が使われていましたので、王のコーヒーハウス閉鎖令は、やはりクリスマス前に布告され、クリスマス後に撤回された、という理解で良いようです。