ちょっと行ってみたいところ − その2・ジョンストン環礁

2014年12月20日 23:49
 

「ジョンストン環礁」(Jhonston Atoll)

暇つぶしにグーグルマップで世界のあちこちを覗いていると、たまにとんでもない風景を見つけて心を奪われることがあります。
 
ここ、ハワイから西に約1500kmの太平洋上に浮かぶ、「ジョンストン環礁」(Jhonston Atoll)も、そのひとつ。
 
ジョンストン環礁地図
google map
近寄ってみると、空港があることが分かります。
ジョンストン環礁・衛星
google map
この空港がジョンストン島です。
アメリカ領です。
 
空港というより、本当はアメリカ海軍の基地だったのです。
基地そのものが島です。
太平洋の真ん中に、いきなり基地が浮かんでいる、という感じです。
 
写真で見ると分かるように、この島はジョンストン環礁の一部を埋め立てる形で造られました。
ちなみに、ジョンストン島の右上に見えるのがサンド島(砂の島)です。
 
サンド島も、水上飛行機の基地として使われたので、ちょっと不自然な形になっています。
ジョンストン環礁には、この他にふたつの小さい島があります。
この島の歴史をちょっと振り返ってみることにします。
 
ジョンストン島・空撮
サンド島からジョンストン島に向かって

発見〜命名

この環礁をアメリカ人が偶然発見したのは、1796年のことでした。
 
ある船の座礁事故に絡んでのことでした。
ただ、この時の船長は、発見した環礁に名前をつけたり、所有権を主張したりはしませんでした。
そのため、この環礁のことはしばらく忘れられていたようです。
 
名前が付けられたのは、それから11年後の1807年12月にアメリカ海軍の船に再発見された時でした。
その船の艦長がジョンストン大佐だったので、ジョンストン環礁と名付けられたのです。
よくある安易さですね。
 
それから数年は、たまに立ち寄る船もあったようですが、環礁といくばくかの島があるくらいなものなので、一目見れば十分という扱いだったようです。

領有権争い

元々この環礁は海鳥たちの繁殖地でした。
そして、僅かな陸地には永劫とも言える長い時間をかけて、海鳥の糞が堆積し、大量の「グアノ」となっていました。
 
引用
グアノ (guano) とは、島の珊瑚礁に、海鳥の死骸・糞・エサの魚・卵の殻などが長期間(数千年から数万年)堆積して化石化したものであり、肥料の資源として利用される。

グアノ
グアノ
1850年台半ばから、このグアノに目をつけたアメリカ人が領有を主張し始め、当時独立国で、カメハメハ4世の治世下にあったハワイ王国と対立しました。
この争いの中で、ハワイ王国もこの環礁に名前をつけています。
 
ハワイ王国から見れば、ジョンストン環礁はカラマ環礁(Atoll Kalama)であり、その最も大きな島はカラマ島(Kalama Island)でした。
 
ハワイ王国は、その後1898年にアメリカ合衆国に吸収されてしまい、滅亡させられてしまいます。
それに先立って、グアノは1890年までには採り尽くされています。
 

保護区→海軍基地

グアノがなくなってからは、人間たちが訪れることもなく、環礁は再び海鳥たち、あるいはハワイモンクアザラシたちの楽園に戻っていたことでしょう。
 
ハワイモンクアザラシ
ハワイモンクアザラシ
そのためか、1923年にはアメリカ合衆国の野生動物保護区となっています。
しかし、それもつかの間、1934年12月、時の大統領フランクリン・ルーズベルトによって海軍の管理下に移され、基地となっていきます。
 
翌1935年には、小規模ですが、サンド島に水上飛行機の拠点が造られます。
そして1936年には、ボートの着岸設備を準備したり、水上飛行機の離着水路(1,100m)のためにサンゴ礁を爆破したりと、大きな改造が始まります。
 
サンド島の離着水路は、1939年からは3本まで拡張され、3,400mが1本、2,100mが2本と充実していきました。
更に1941年9月には、ジョンストン島に滑走路(1,200m)が建設され始めます。
 
以下、ジョンストン島の成長の図でご確認ください。
図の中の、0.4Nautical Mile(0.4海里)は、740mほどです。
 
ジョンストン島・拡張
ジョンストン島の拡張

戦争の準備

当時の世界情勢からすると、上記のサンド島、ジョンストン島の軍事基地化はある意味当然の流れかもしれませんが、開戦(1941年12月8日真珠湾攻撃)の数年前からこのような準備をしていた点は注目ですね。
 
ジョンストン環礁を野生動物保護区から外して、海軍の管理下においたのは、フランクリン・ルーズベルトが大統領になった1933年の、次の年です。
 
また、歴代2期までだった大統領の再選を、世界情勢の緊迫を口実に3期目に立候補した1940年の大統領選では、
「アメリカの青少年をいかなる外国の戦争にも送り込むことはない」

とまで言って当選しておきながら、ジョンストン島に滑走路を作りはじめたのは翌年の1941年、開戦前の三ヶ月前の9月です。
 
ちゃくちゃくと準備してるじゃん、という感じですね。
ちなみに、真珠湾攻撃の数日後、日本軍はここも潜水艦で攻撃していますが、大きな戦果は挙げられなかったようです。
 

核実験

さて、戦争が終わった後も、このジョンストン環礁の役割は終わりませんでした。
むしろ、それからのほうが重要です。
 
1958年からは、高高度核爆発の実験のための打ち上げ基地として使用されます。
 
ジョンストン島から打ち上げられる高高度核実験ミサイル
打ち上げを待つ高高度核実験ミサイル@ジョンストン島

今では考えられないことなのですが、当時はミサイルで打ち上げる核爆発実験が繰り返し行われていたのです。
実験の規模にもよりますが、高度は1000km以上の時もあれば、100kmにも満たない時もありました。
 
発射に失敗して、ミサイルを自爆させる事故も何度か起きています。
このような事故の時は、核爆発には至りませんが、地表をプルトニウムで汚染するというようなことも起こります。
かなり深刻な汚染となります。
 
このような核実験は、1963年まで続きました。
 
ミサイル発射失敗によるプルトニウム汚染事故@ジョンストン島
ミサイル発射失敗によるプルトニウム汚染事故@ジョンストン島

衛星攻撃兵器

ソー・ミサイル@ジョンストン島
ソー・ミサイル@ジョンストン島
また、並行して1962年からは、衛星攻撃のためのミサイル実験が始まりました。
 
核を含むさまざまなタイプの衛星攻撃システムが研究されました。
この実験は1975年まで続けられました。
 
いずれにしても、ここで活動していた人たちは、防護服が欠かせなかったでしょうね。
後になっての健康被害がかなり深刻だったのではないかと思いますが、どうなんでしょう。
 

化学兵器の保管と廃棄

そして、1971年からは化学兵器の保管庫としても使用されています。
 
この島に沖縄の米軍基地に配備されていた化学兵器が運び込まれました。
その中には、サリン、VXガス、マスタードガスなどもあったようです。
 
沖縄返還が1972年ですから、その前年まで、このような猛毒物質が大量に沖縄にあったということですね。
その後、化学兵器の廃棄を進める設備(ジョンストン環礁化学物質廃棄施設・JACADS)を建設することになります。
 
ジョンストン環礁化学物質廃棄施設・JACADS
ジョンストン環礁化学物質廃棄施設・JACADS
1990年からは、第二次大戦後ソロモン諸島に保管されていた、旧ドイツ軍の化学兵器などもこちらに運ばれました。
 
化学物質廃棄施設は1985年から建設が始まり、1993年から稼働開始、2000年までに、これらの化学兵器はすべて分解処理されました。
 

閉鎖・立入禁止

2003年に化学物質廃棄施設は解体され、更地にされ、そこに記念碑が立っています。
 
また、放射能や化学物質に汚染された土壌、建築解体物などは、地中に埋められて隔離され、地表は洗浄されています。
 
そして、ジョンストン環礁全体が立入禁止。
現在では、時々(おそらく定期的に)地表の汚染調査や環礁内の生物調査などが行われています。
 

どうやって行こうか

いや、ちょっと行ってみたい、という妄想も、このエントリーを書いているうちに消え失せました。
お腹いっぱい、という感じですね。
 
実は、このエントリーを書く前には、日本語のサイトでしか情報収集していなかったのです。
なので、核関連や化学兵器関連で使用されていたとか、現在は無人島で立入禁止とかは知っていたのですが・・・
 
今回エントリーを書くにあたって、いくら何でも情報が薄すぎ、と思って、英語のサイトを参考にしてみたのです。
そしたら、濃かった。 あまりにも、濃かった。
 
正直、これほど深刻な問題をはらんだ場所とは思っていなかったです。
 
参考サイト
   ジョンストン島 (日本語)
   Johnston Atoll (英語)

水上バイク

今年11月、東日本大震災(2011年)に関連した、こんなニュースが報じられました。
 
引用
水上バイク“故郷”に戻る 津波で流されハワイに漂着
 東日本大震災の津波で流され、米・ハワイで見つかった大熊町の会社員松永友宗さん(49)=いわき市に避難=の水上バイクが10日、いわき海星高の実習船「福島丸」で同市の小名浜港に到着、3年8カ月ぶりに松永さんの元に戻った。水上バイクは、津波や漂流の傷痕が激しく、ハンドルや座席が欠損するなど大きく壊れていた。松永さんから情報提供を受けた製造元のヤマハ発動機の好意で元通りに修理される。
 水上バイクは5月中旬ごろ、ハワイの無人島ジョンストン島海岸で発見。国内の一般社団法人などを通じ10月下旬にハワイ近海で実習中だった福島丸に運搬が打診された。多くの人の絆がつながり、故郷に帰還を果たした。

最近のニュースなので、覚えている方もいらっしゃるでしょう。
 
このニュースで出てくる「ハワイの無人島ジョンストン島」は、もちろんこのエントリーで触れているジョンストン環礁のことです。
 
僕は以前から、この場所のことを知っていたので、このニュースはしっかりと心に刺さりました。
他のサイトのエントリーを見ると、発見は5月21日のことだったようです。
 
引用
2014年5月21日,ハワイオアフ島の南西700マイル沖合にある無人島「ジョンストン環礁」の海岸に,一台の水上バイクが漂着しているのが見つかった。発見したのは米国魚類野生生物局の調査員。彼等は年に二度,野鳥調査のため,この島を訪れている。彼等はこの水上バイクが震災起因の漂流物ではないかということで,調査船に載せ,ホノルルに持ち帰った。震災起因漂流物が太平洋の小さな島に漂着することも奇跡であるが,これまで震災起因洋上漂流物に関わってきたすべての人の手を通じて帰還の途についたこの話も,もう一つの奇跡の話である。


ジョンストン環礁に漂着していた水上バイク(米国魚類野生生物局提供)
ジョンストン環礁に漂着していた水上バイク(米国魚類野生生物局提供)

この記事を見ると、やはりジョンストン環礁での生物調査は定期的に継続されているのだなと分かります。
 
そして、この記事でも奇跡という言葉を使っていますが、この水上バイクはその定期的な調査がなければ発見されなかったかも知れない、と思うと場所の特殊性と併せて、巡り合わせというものの不思議さを深く感じてしまいます。
 

最後に

最近、中華人民共和国(People’s Republic of China:PRC)が、南シナ海のスプラトリー諸島(南沙諸島)で環礁を埋め立てて軍事拠点を作っているのは、ほぼ間違いなく、このジョンストン環礁をお手本にしているのでしょうね。
 
中国から見たら、アメリカが何十年も前からやっていることだ、我々が同じことをやって何が悪い、という理屈になるのだと思います。
 
アメリカも悪い手本を作ってしまいましたね。

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